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<2005年12月20日 千葉景子国政報告より>


多くの問題を抱えた
2005年を振り返って

先頭に立って頑張る!
2006年は困難から抜け出す年に



選挙の2005年を振り返って

 今年は本当に選挙の年になりました。まさか、そういう1年になるとは正直、予測 していなかったという部分があります。やはり政治にたずさわるもの、普段から何時 なんどき選挙などがあっても準備を怠らないとことも必要だということも改めて感じ た次第です。
 郵政問題を巡って、参議院での郵政法案の否決で、衆議院が解散してしまうのです から、これも前代未聞。そして憲法やあるいは国政のあり方から考えて、これが筋が 通っているものかどうかということはありますが、それは今日はさておいて、郵政問 題をめぐって衆議院解散、総選挙ということになりました。この総選挙の結果はご承 知の通りでございます。小泉劇場といわれる形で選挙戦が展開をされたものの、政策 というのは結局どこにもなかったのではないか、何にも論議がされなかったのではな いかという感じがいたします。
 「改革」と言えばそれで票になってしまう。そして時代劇のように(田舎芝居と言 われましたけれど)刺客ということで、世間の注目を集めた。私たちも懸命に政策を 訴え、これからのあるべき社会を皆さまに話しをさせていただいたつもりではありま すけれど、何しろ、突風みたいな、大津波のような中で、そういうことが全て吹っ飛 んでしまい、結果は、私の所属する民主党は歴史的な敗北を喫するということになり ました。
 いろいろな要因はあると思いますけれど、私は小選挙区制度というものの象徴的な 今回は結果だったと思っています。
 そもそも小選挙区制度を取り入れた時に、政権交代を可能にする制度だということ で私たちも制度導入を進めてきたわけですが、今回の結果を見ますと得票ではそんな に差はない。しかし、議席になるともう格段の差がつく、こういう制度だということ が改めてわかった次第でもございます。そういうことを考えますと、逆に違った局面 になり、ちょっとでも上回ることができれば、今度は私どもの議席が増えて、そして、 政権交代ということも、逆に言えば現実的なものになってくるわけです。
 そうは言っても、皆さんに対する新しい社会、あるいは新しいこれからの道筋、こ ういうものをお示しすることなくして、実現するものではないことは承知をしており ますが、ともかく、こういう小選挙区という中で、総選挙が行われました。
 そしてこの総選挙で、斉藤つよし参議院議員が神奈川第11区に挑戦し、小泉さん に真正面からぶつかっていくということになりまして、参議院の議席が1つ欠になり ました。そのために参議院の補欠選挙が行われることになり、衆議院に引き続いて参 議院の補欠選挙ということになりました。そこでとてもすばらしい、チャーミングな、 そしてこれから伸びやかにいろんな活動をしていただけるのではないかと思われます 牧山ひろえさんが挑戦をしていただけました。
 何しろ相手も女性で、しかもかなり有名な外務大臣を務めた方ということもあり、 しかも小選挙区の余波というものもまだまだ続いており、残念ながら当選をすること はできませんでした。
 しかし牧山さんがやはり多く皆さんのこれもお支えをいただきまして、一気に80 万近い得票ということで、多くの皆さんが新しい、これから有望な人に期待をいただ いているということを感じた次第でもございます。
 これから総選挙、参議院選挙の結果を厳しく受け止めながらも、しかしやはり悪い 時があれば、次はこれ以上悪くなる時はないだろうと、これくらいの気持ちでまた反 転攻勢頑張っていけたらと思っているところでございます。

民主党の自覚

 こういうことを受けて民主党の方は代表が交代、前原新代表ということになりまし た。代表が若くなりまして、若いことは勢いがあって、青年のようにまっしぐらに進 んでいくということでございますので、これは評価のできるところだと思うのですが、 いささか心配なところもあります。このところの発言などによって、このままいくと 自民党とどこが違うのかというご意見などもいただいたりしております。 
 やはり、何を競い合うのかが問題なので、スピードだけ競いあうのではなくて、中 身、行くべき方向、これを競いあうことが大事なんだろうと思っております。ですか ら、そういうところを私たちが手綱をゆるめたり、しめたり、あるいは私も期を重ね てまいりましたので、苦言を呈しながら、二大政党が本当にそれぞれの考え方を提起 をし、そして競い合って、よりよいこれから未来を作っていけるよう、これから頑張っ ていかなければいけないと思っているところでございます。

全体の情勢の中での法務関係の動き

 こんな状況で、今年が過ぎていこうとしているのですけれども、ここに来てあの耐 震偽装という問題がございました。私は、ここに一つの時代の象徴みたいなところも あると思っています。この間ずっと日本の社会も規制の緩和が進められてまいりまし た。いわば、自由な競争、これまでの護送船団と言われるような体制から、つまり、 事前的な規制から事後的なチェックへと、こういう流れが進んできたわけです。これ は、これまでのしがらみに囚われない自由なそれぞれの力を発揮していける社会を作 ろうということで、私も一定の理解をし、評価もするところですけれども、やはりそ うなった時のチェック体制が大事であり、自由になったということはそれだけひとり ひとりが自覚をし、厳しい責任を負っていくことが大事なのです。こういう自覚が本 当にあるのだろうか。自由になったら、それを二重に三重にチェックをする、あるい は事後的に救済をしていくようなそういう制度などがやはり表裏になっていませんと、 結果的には強い者はよりよい思いをするけれども、被害を受けたり、あるいは専門的 ではない立場にある、弱い立場にあるものが割を食ってしまう、こういうことにもな りかねない。そんなことを私も今回の問題で感じさせられました。行政がやるから正 しい、行政がやっているから安心だということは決してありません。しかし、それだ けの責任を民間が負おうとすればそれだけの自覚とチェックをしていかなければいけ ないということなどです。これは大変裾野の広い問題になりそうで、今日はそういう ことにもお詳しいそれぞれプロの皆さんが大勢いらっしゃいますけれども、こういう 問題にも私も是非新しい問題意識を持って取り組んでいかなければいけないという気 持ちでございます。
 私は今、国会では法務関係の仕事が中心になっています。そして前原体制のもとで はネクストキャビネットで(最近はネクストキャビネットというと、もうそんなまま ごとみたいなことやってるんじゃないよというお声もありまして、お互いに政権も担っ ていないのに大臣なんて呼ぶな、そんな笑われるようなことはやめようということで 次の内閣とは称しながらも、それぞれ責任政策の担当者ということで呼ばせていただ いておりますが)法務の担当をさせていただいております。
 この分野も大変地味と言えば、地味で、あまり華々しいところではありませんので、 皆さんにも何をやっているのかわかりにくいと思いますが、今は大変忙しい分野であ りまして、先ほど申し上げましたように、規制緩和、あるいは社会をもっと自由にし てこうということになりますと、やはりそのための事後的なチェック、あるいは救済 の機関、あるいは制度、こういうものを充実させていかなければいけないということ で、この間、司法制度の改革というものがずっと進められてまいりました。自由に競 争させてあとはもう勝手にやりなさいということでは困るわけで、そういう意味では 今、司法が担う役割が大きいということで、こういう問題にも取り組ませていただい てまいりました。
 また、理不尽な犯罪が増えている。社会の中の不安が大きくなっている。こういう ことも言われています。そのために一体どんな手だてをしたらいいのか、こういうこ とも私のいわば守備範囲でございまして、ただ刑務所に入れればいいというものでも ありませんし、ただ重い罰を加えれば社会がよくなるというものでもなし、だからと いって甘くしたのではより一層皆さんの不安が募る、こんな非常に悩ましいところで ございます。 
 このところやはり目に付きます子どもに対する言われない犯罪、こんなことは本当 になんとか解消できるように、なくなるようにしていきたいものだと率直に思ってい ます。いずれにしてもそういう問題に取り組ませていただいております。次の国会に もまたいろんな課題が出てまいりまして、特に少年に対する犯罪、それをどうやって 処遇していくか、こんなこともこれからの大きな課題でもございます。またいろんな 形で諸先輩、そして多くの皆さんの知恵も拝借してまいりたいと思っております。

訪中と訪米でわかったこと

 さて、11月中に中国へ行き、そして12月にアメリカワシントンDCに行ってま いりました。
 中国は大変関係が厳しくなっています。そういう中でしたが、参議院と中国の議会 である全人代と定期的なきちんとした交流のしくみをつくろうということで、副議長 がその任を負って出向かれた。それに同行して行ってまいりました。北京は口を開け ば「小泉さんは困ったものだ」という話ばかりでしたが、議員などができるだけ交流 を深めて、お互いの信頼関係をこれ以上悪くしないようにしていこうということで話 をしてきたわけです。北京はそういう状況でした。神奈川県と姉妹関係にある遼寧省 は、東北の瀋陽、大連を回ってまいりましたけれど、こちらはまた全然違いまして、 政治の話は出ません。商売の話ばかりでした。大連の開発をしている区域は本当にす ごいところでして、私も開発区というので、「みなとみらい」くらの大きさでいろん な企業が集約されている、そんなものかなと思っていきましたら、私本当に恥ずかし い思いをいたしました。大連の市内が横浜ぐらいだとすると、ちょうど東京湾を隔て た房総半島、君津とか、あのあたりに本当に一大都市を造って、日本企業もそちらに 出て頑張っているということでございました。とても美しい街であると同時に非常に 元気な活発な経済活動が行われているということを改めて感じた次第です。そういう 意味でもやはりいろんなことはありますが、隣近所、信頼関係を深めてそして経済の 面でも、そして人の交流の面でもうまく仲良くやっていくこと、それが日本の経済に とっても利益があるのではないかと感じたところです。
 そして、この後、訪米させていただきました。皆さんもご承知の通り、米軍の再編、 トランスフォーメーションと言われますけれど、これまでの米軍の配置を新しい危機 的な状況に対応する形で再編をしていこうということがございます。日本はアメリの 基地を抱え、いわばアジアの前線基地のような形になっているのですが、神奈川は沖 縄に継ぐ第2の基地県です。このトランスフォーメーションによって、座間には陸軍 の第1軍団司令部という、いわば司令塔みたいなところが座間の基地にやってくると いうことで、周辺はもうてんやわんやという状況になっています。もう一つ、直接関 係はないのですけれど、横須賀が米軍の海軍基地なのですが、ここはこれまで空母が 横須賀を母港として運用されていまして、その空母を今度は原子力推進の空母に取り 替えようということが突然発表されました。横須賀の皆さんは怒り心頭、それから横 須賀の市長も怒り心頭、神奈川の松沢知事も怒り心頭という状態になっています。い ろいろ問題はありますが、少なくとも日本が唯一の被爆国でもあり、原子力というこ とに非常にセンシティブだということを考えれば、やはりアメリカからそういう提案 があった時には少なくとも、その近くに住まなければいけない皆さんなどには、よく よく説明して、そしてこういう手段しかないのだとか、こういう説得をし、あるいは どうしてもと言うのだったら、その安全面はどうなんだとか、こういうことを丁寧に やる必要があると思います。
 私は基本的には原子力空母にはさせてはならない、やはり、少なくとも通常艦でな んとかならないものかと思っているのですが、いずれにしても、そういうことで突然 頭越しにどんと決めた。アメリカが決めたから日本政府もしょうがない、「すみませ ん、よろしく」、こういうことだったものですから、皆さんが怒り心頭している。神 奈川の議員としても、そういうことをアメリカにも直接伝えてくることも必要なので はないかということで出向いてまいりました。
 そして、向こうの政府関係者の皆さんに、地元ではびっくりして、みんな怒ってい ると伝えました。そういうことをやっていると、折角これまで日米関係うまくいって きたのに、そして基地についても、特に横須賀はある意味では非常に友好的に、そし ていろいろ難儀もあるけれど、横須賀市民の皆さんもそれを受け入れて、いい関係を 作ってきたのに、そういうことが全て無になってしまう、壊されてしまう、と。それ で本当にいいのですかということを直談判に行ってきたところでございます。やった からといって、すぐに「そうですか、では撤回します」とは言いませんけれど、直接 皆さんの声を届け、そして向こうの考え方を聞かせていただいてきたというところで ございます。
 アメリカ政府は一生懸命、私どもみたいなものでも説得しようとします。「原子力 空母は素晴らしいものなんだ、なんで皆さんはそれをどうしてそんなに駄目だと言う んですか」と。立場は違えども、一生懸命説明し、説得をしようと、そういう姿勢で ございました。問題なのは日本の外務省、日本の政府のほうなのです。「アメリカか ら言われました、それを伝達します」それしかしないのでは、どこの政府なのか、ア メリカの出先機関なのか、こういう気もいたします。そういう意味ではアメリカ政府、 アメリカが問題というよりは、やはり日本の政府が地元の皆さんの危惧、不安、いろ んな意見、そういうものを呈して、少なくとももうちょっと考えようがあるのではな いか、あるいは通常艦をもう少し使う手だてを考えたらどうかとか、そういう交渉を するのが本当は筋ではないかなと、逆に直接アメリカに出向いて、日本政府の不甲斐 なさと言うか、姿勢にむしろ憤りを感じたという状況でございました。そんなことを 経験もさせていただきながらこの暮れを迎えたということでございます。
 本来であればもっとご報告をしなければいけないこともあるかと思いますが、それ はこれからも節目、節目にいろんな形でご報告をさせていただいておりますし、これ からも報告させていただくということでお許しをいただき、今年、大変厳しい年でご ざいました。多分皆さんもいろんな意味で難儀な1年であったのではないかとも推測 をいたします。来年はそこから何とか少しでも抜け出すことができますように、私も 先頭に立って頑張っていきたい、とこんな気持ちで一杯です。

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