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お答えいたします。
千葉先生の御指摘の認識と私も全く実は同じでございます。
日本は明治以来、司法の姿が非常に小さく、言葉は、何といいますか、小さい姿に押し込められてきたんではないかと。簡単に言いますと、行政優位の姿がずっと続いてきた、そのために先進国の中では現在では最も透明性の低い社会になっているんではないかと、こういう指摘がされているところでございます。
ある国際的に非常に活動をなさった著名な弁護士さんの話でございますけれども、日本のように行政に対する司法のチェック機能の少ない国は誠に恥ずかしい思いがすると、こういうことをある雑誌に書いております。恥ずかしいほどに司法の、行政に対する司法チェックのシステムがないこの日本と、こういう指摘でございます。
ですから、そういう意味で、〇・四%と、全予算の司法が占める割合は〇・四%というふうに言われていますが、こんなことでこの国の二十一世紀の姿がもつんであろうかと、こういう心配を実は私も持っております。
そういう意味で、先生方のお力添えも得て、もっと司法の基盤が物的にも人的にも大きくなって、司法審の意見書が指摘していますとおり、法律が社会の血肉となると言いましたか、法が社会の血肉となるような働きをする、そういう社会を作っていかなきゃいけないんだと、二十一世紀は。そのためには財政的基盤が必要だということだろうと思います。
ちょっと抽象的でありますけれども、そういうお答えにいたします。
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