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御質問ありがとうございます。
おっしゃるように、今まで社会保険制度ですとかそれからその外側の社会保障制度にしましても、労働といえばペイドワーク、とりわけ賃金を払われるサラリーマンのといいますか、そういう労働をこれこそ労働だというふうにみなして設計されてきたというふうに思います。これに対して、アンペイドワークの重要性の指摘というのが世界女性会議なども画期にして高まってまいりまして、そのようなものを組み込んだサテライト勘定をつくるべきであるとか、それからもし仮に貨幣額に換算したならばGDP、国内総生産のどのくらいを占めるのかといったことに関心が向いてきたというのがここ二、三年の動きであろうかと思います。
そういう中で、アンペイドワークの評価をどういうふうにしていくのかということには論争がございます、御承知のように。そして、ある説によれば、日本の第三号被保険者制度であるとか、それから所得税の配偶者控除などは、ある種のアンペイドワークに対する経済的評価なんだというような意見も聞くことがあるわけでございます。しかし、ちょっと翻って考えてみれば、家事労働や地域での仕事というのは、別に女性のあるいは配偶者の年収でもって分かれて、百三十万円未満の年収の人しか家事労働をしていないとか地域活動をしていないということは毛頭ございませんので、それをある年収のところで切る、あるいは夫の就業形態でもって切るということは、これはアンペイドワークの評価とは言えないだろうというふうに私は考えております。
それでは、どのような仕方でアンペイドワークを評価していくべきかということなんですけれども、これも諸説ございまして、振り返りますと、七〇年代のころにはイタリアあたりの女性運動が家事労働に賃金を払えというスローガンを掲げて運動をしたというような経緯もございますけれども、私の考え方としては、アンペイドワークというものはなくすことができないし、またなくすべきでもない、つまりすべてを有償労働に変えていくことが望ましいのではないというふうに思っております。これは、有償労働の世界がこれだけマネーゲームにさらされる不安定な領域になってきますと、そういうものに左右されない無償労働の世界というのが人間の経済というものを安定化させている、そういう重要な役割を考えるべきだからであります。
そこでどうするかというと、やはり老若男女が自分の自発的な意思に基づいてさまざまなアンペイドワークに喜びを持って携わることができるようなそういうあり方を考えるべきで、その第一番の条件というのが、私はペイドワークの時間というのが合理的な長さに限られていることだと思います。
一日例えば六時間労働でもって十分生活していける収入が稼げるならば、あと残った時間というのを家事あるいは地域活動に充てるということが十分可能になって、これがもう年齢、性別を問わず可能になる、そのような標準労働時間とそれから賃金のあり方というのがもうそのまま私はアンペイドワークに対する評価になっているというふうに思います。
さらに詳しく申し上げれば、就職をするとき、あるいは育児休業や介護休業をとって復帰をするときに、その休んでいた期間のアンペイドワークがどういうふうに評価されるかというと、通常は育児休業などとりますと昇給の対象にならない、それからボーナスも翌年減らされるとか、不利益をこうむるわけでございます。しかし、社会的に重要な役割を果たし、また子供の面倒を見て育てる、人をはぐくむということはペイドワークの職場においてもその人に重要な能力、経験というのを授けるわけでございますから、復帰のときに昇給をさせないとかボーナスを削るというのはもうこれは正反対のあり方なんではなかろうか。
あるいは、新規の就職でございましても、例えばこれはドイツですとかそういった国では、自分はベビーシッターの経験があるとか、それからボランティアで地域の子供たちのクラブ活動、スポーツ活動のリーダーというんでしょうか、そういうことをしていたというようなことを履歴書に書きまして、これが就職に際して評価をされるというようなことになっているわけで、このように具体的にやはりペイドワークの世界に反映して評価されるということがなければ、幾ら頭からボランティアワークが大事だからといって高校生や中学生にボランティアをやりなさいやりなさいというふうに言ってもそれはなかなか難しいんじゃないかなというふうに思います。
以上です。
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