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共生社会に関する参考人質疑 1/2
千葉景子君  民主党の 千葉景子でございます。

 きょうは大澤さん、そして鹿嶋さんありがとうございます。

 何点かお伺いをさせていただきたいというふうに思うんですが、常々私は、この男女共同参画社会あるいは共生社会ということを考えるときに、男性の影が大変薄いというとおかしいですけれども、女性の側からのいろいろな問題提起あるいは問題の所在、そういうものが語られるわけですけれども、男性は一体どうなっているのやらというところが非常に何か希薄なような気がするんです。

 そこで両参考人にお尋ねをしたいというふうに思うんですが、よく男性は、何か非常に男女共同参画社会の進展に伴って自分の何となく居場所がなくなってしまうのじゃないか、あるいは既得権がなくなってしまうのではないかというおそれを感じているのかな、こんな気がしたり、それから先ほど鹿嶋参考人の方から、これは参考資料の方でしょうか、よく家庭のぬくもりという言葉に男は弱いとか、そういうことも語られるわけですね。

 この問題を男性、女性がともにこれから考えていくとすれば、いや、共生社会、男女共同参画社会というのは、男性にとっても大変きらきら輝く社会なのである、決して女性だけが頑張って元気になる、そういう意味ではないということをもっと知らしめていただくというのは大変必要なのではないかというふうに思うのですけれども、そういう意味で大澤さん、たかだか三十年というのでしょうか非常に限られたところでつくられてきたこういう社会システムの中で、むしろ男性側が失ってしまったものとかあるいは男性にとっても非常に生きにくいシステムになってしまった、そういうところを指摘いただければありがたいと思いますし、鹿嶋参考人の方からも何か御決意というか、男の実も問われるというようなこともお話しがございましたけれども、そういう男性にとっての男女共同参画社会の意味、こういうものについて少しお話しをいただければありがたく思います。

参考人
(大澤眞理君)
 本当は鹿嶋参考人に先にお答えいただいた方がいいのかもしれません、私が申し上げますと何かおためごかしみたいに聞こえてもいけないのですけれども。

 日本の現代社会、特に七〇年代後半、八〇年代は非常に企業中心の社会になってきて、これが女性にはもちろんですけれども、男性にとってとりわけ息苦しい社会をつくってきてしまったのではないかという私は問題意識を持って、この十年以上研究を続けております。

 そういう中で最近非常に憂慮しておりますのは、中高年男性の自殺の多さという問題でございます。御承知のように、九八年には三万人の自殺がございまして、史上最多数の方がみずから命を絶たれたわけなんですけれども、このうち七割が男性で、したがいまして、二万一千人の男性が自殺をされたわけですが、さらにこの二万一千人の約半数の一万人が中高年、四十代と五十代の男性でございました。

 交通事故で死ぬ人の数というのは一万人前後なのではないかと思いますけれども、一年間に交通事故で死ぬのと同じあるいはそれ以上の数の中高年男性がみずから命を絶つということが起こったわけでございまして、この背景としては、自殺率のカーブが完全失業率のカーブと全く並行しておりますので、雇用不安、そして不景気による経済問題、生活苦というのが背景にあるというのはもう常識になっております。九九年におきましても同じようなスピードで自殺が起こったわけでございます。

 そこで、ではなぜそのような雇用不安、そして生活苦ということから死を選ばなければならないのかといいますと、これはもう明らかに一人で妻子を養わなければならない、そして住宅ローンがある。妻子を養わなければならないばかりではなく、子供を大学まで進ませてやらなければ今後の社会に出てどうなるか。このような一家を支える重圧というのがすべて一人の男性の背にかかっておりまして、失業するあるいは首を切られるということが余りにもショックでありますので、子供はおろか妻にも首を切られたことを打ち明けられない。毎日スーツを着て、かばんを持って家を出るけれども、職安をのぞいた後は一日公園で過ごすというような悲惨なケースすら見受けられるわけでございます。

 私は、これは男性もジェンダーの犠牲者にほかならないということを数でもって非常に痛ましい形で示している問題なのではないか。ではその以前の好景気の時代はではよかったのかといえば、多数の方が過労死をなさっていたわけでして、過労死から今は過労自殺あるいはリストラ自殺というふうに進んできている。そういうふうなことを考えますと、単に現在景気が悪いからではなく、日本の大企業中心の、そして男女が固定的な性別役割分業を行うこの社会のあり方というのは男性にとって非常に生きにくい社会なのではないかと考える次第です。

 したがいまして、男女共同参画社会というのは、女性にもそうですけれども、男性にとって人生の選択肢の多い、それからまた一度失敗しても、二度三度失敗してもやり直しのきく社会ということなのではないかと考えております。

参考人
(鹿嶋敬君)
 お答えいたします。

 心理学者の河合隼雄さんの一連の著作物を見ますと、欧米は個人主義の発達というのがあるわけですけれども、じゃ、そこで何によって個人主義が支えられたか、いわゆる神だと言うんですね。日本は神にかわるものは何かというと、これは家だと、家制度だと。男の場合はもう一つ便利なものをつくった。代理家に当たるものが企業であると。その代理家に当たる企業というのは、そのうち非常に情緒的な機能もはぐくんできたわけですね。

 企業というのは私は二つあると思います、要素が。一つはジョブとしての、ジョブを提供する場であるというのが第一点。第二点は、ゲマインシャフトといいますか、いわゆる情緒的な機能がはぐくめるようなところですね。今ゲマインシャフトの方は切り離されて、会社というのはジョブの提供の場だというふうになる中で、サラリーマンは代理家の機能を失いつつあるんですね。いわゆる企業になかなか所属感が見出せないようなところがあります。

 一方で、家に帰るとどうなるかといいますと、これは母子連合軍がもう全く牛耳っているわけでして、やっぱり家の所在もないということで、おっしゃいますように、これから男性のアイデンティティーといいますか、それが非常に問われる時代だというふうに思います。同時に、男女共同参画社会という社会は男の既得権をある意味では手放す社会だというふうに理解しております。基本法の第六条は、いわゆる家庭の運営というのは男女の共同作業なんだといったような趣旨の文言でちりばめられておりますけれども、あれ一つとっても男性の生き方が変わらざるを得ないだろうと。

 あえて今度は男性の立場に立って男性を擁護しますと、変わりたくても変われないという状況があるんですね。これは少子化問題と同じなんですが、産みたくても産めないということで、国は何とかしようということで少子化問題を深刻な大きな問題として取り上げているんですが、男の場合も変わりたいけれども変われない。

 これは具体的に何かといいますと、どうしてもサラリーマンですと、現役時代はやはり家庭を顧みるような時間がはっきり言うとない。実は私の知り合い、大企業の、私の年代ですと部長クラスなんですけれども、私が書く種々の原稿はよくわかる、ただし現実には無理だと言うんですね。朝六時ごろ家を出て帰るのが夜中、帰るときにはタクシーがそのビルの周りをぐるぐるとぐろを巻いている、そのタクシーの運転手もこの人が近いか、近距離か遠距離かというのはもうわかっている、ですから近距離の人が手を挙げてもタクシーは乗車拒否するといったような状況の中ではなかなか家事、育児の分担まで男性は難しい実態にある。

 となってきますと、やはり企業社会でどうするかといったような議論をもう少し真剣にしなくてはならないだろうというふうに思っておりますし、一部経済団体ではそういう議論も始めておりまして、私もそれに何回かかかわっていろんな提言も出してきたんですけれども、今後さらに男性の生き方と絡めてそういう問題を今後議論する必要があるのかなというふうに思っております。

千葉景子君  ありがとうございました。

 今、男性の側からの御意見もお聞かせをいただいたんですけれども、先ほど、そういう中で企業の中でのありようみたいなものも考え直していかなければいけないということで、お時間の関係でお話をいただかなかったんですけれども、鹿嶋参考人、転勤の問題ですね、これもかなり家庭にとってもあるいはカップルの場合にとってもいろいろな問題を起こしますけれども、最近の裁判例というようなことでレジュメには記載がございますし、それから共生社会あるいは新しい自立性のあるそれぞれの個人の生活ということを考え合わせたときに、この裁判例とあわせて少しお話をいただければと思います。

参考人
(鹿嶋敬君)
 それではお話しいたします。

 実は経済団体が出している、昨年、一昨年と各経済団体が少子化問題に対する提言書を出しております。その中で一様に述べているのが、転勤問題に対する反省なんですね。いわゆる転勤がかなり多いといったようなことから、それが少子化問題と少し絡んでくるんじゃないかと。女性が働き続けることが無理といったような問題も含めまして、転勤問題というのは大変大きな問題だと思うんですが、裁判例でいいますと、昨年それからことしにかけまして最高裁判例が二件出ております。

 一件はある製薬会社の裁判でありまして、これは、東京から名古屋に転勤になった原告が、夫の方が転勤になるんです。妻の方も同じ会社で働いておりまして、子供が三人いたんですね。この子供たちはまだ手がかかる段階ですので、本人は転勤を拒否いたします。そこから裁判が実は始まるわけですが、裁判の期間中本人は名古屋に転勤することになりまして、その間、地裁、高裁と争って、最高裁の判断が出たということなんです。

 残された家族がどういうふうに厳しかったかといいますと、やはり妻の方に全部三人の子供の負担がかかるんですね。裁判の記録を読みますと、妻の方は朝四時ぐらいに起きるんですね。朝四時ぐらいに起きて朝七時まで、夜の夕食の準備とか洗濯とか全部やるんですね。夜は、帰ってきますと、腰痛を彼女は患っておりますので、長男を伴って買い物に行って、マンションの五階まで長男に荷物を運ばせたりなんかしまして、さらに夕食の準備をし、一日の話を聞き、さらにはふろに入れ、子供を寝かせる。それで、大体十時ごろ寝る。十時に寝ても夜中の三時か四時にまた起きるという生活の中で、非常に厳しい生活をするわけですね。

 基本的にそういう裁判をどうするかという問題で、原告側訴訟代理人の方はいわゆる家族が一緒に住む権利、女性が仕事をする権利といったような問題を前面に掲げて裁判が続いたわけですけれども、基本的には最高裁の判断は社会的に甘受すべきであるという判断であります。私もこの間まで管理職の端くれでしたから、東京から名古屋への転勤で裁判というのはちょっとおかしいんじゃないのという感じはよくわかります。ただし、手がかかる子供を三人抱えて、それから共働きという条件を加味すれば、やはりこれから共働きがふえることを考えれば、それならもう子供は産まないといったようなことで少子化にさらに拍車がかかるのではないかというのがそういう裁判を通じての感想です。

 ことしに入ってからは、ある音響機器メーカーの最高裁判断が出ました。これはいわゆる配転問題でございまして、最初のうちは通勤時間が四十分ぐらいの通勤距離だった女性が、八王子に配転になります。約二時間、片道二時間かかります。二時間かかる、その配転問題、これをどうするかということで、このケースも非常におもしろいケースだったんですけれども、結局これも社会的に甘受すべきだということになったんですが、最高裁の裁判官の一人が補足意見というのをつけまして、要するにこの判断をもってすべての問題に適用すると考えられるのは困ると。

 彼が言ったのは、その裁判の原告は中学卒の女性なんです、中学卒で入った女性は転勤、配転はまずないだろうと。それから、転勤があるということは昇進につながるというケースを前提に考えられるんだと。彼女の場合は、二時間の距離に配転になっても、それが彼女の将来の昇進、昇格につながる可能性はまずないといったような判断を下しまして、いわゆる学歴によって転勤等々の配慮をすべきだといったような補足意見をつけます。私はこの補足意見も問題はたくさんあるというふうには思うのでございますが、ただ、社会的に甘受すべきというその考え方、これはずっと一九八〇年代半ばの東亜ペイントという最高裁判断以来続いている考え方ですが、それが少し揺り動いてきたかなという感じがいたします。

 ただ、いずれにしても、これだけ共働き家庭がふえる中で、小さなお子さんを抱えてやはり転勤という問題がもろにかぶってきますと、やはりそういう時期は多少の配慮といいますか、それが必要になるのかなというのがそういう裁判例を取材しての率直な印象です。

共生社会に関する参考人質疑 2/2
千葉景子君  ところで、これから私たちも取り組みをさせていただかなければいけないのですけれども、男女共同参画社会基本法ができ、社会制度、慣行などについて性に中立的に考え直していくということが言われているわけですけれども、そういうものと、それは理解をした上でですが、大澤さんにちょっとお尋ねをしたいんですが、これから、これまでもそうですが、例えばいろいろな制度というのがペイドされる仕事を中心に評価をされてきたのではないかというふうに思うんです。例えば、ペイドされないアンペイドの部分、家事労働とかそれから今後地域社会の中で、あるいはNGOとかNPOというような形で、いわゆる賃金労働ではないそういう社会に対するさまざまな参加、貢献、こういうようなことをどういう形で評価をしたりあるいはさまざまな制度の中で取り込んでいく必要があるのか、そのあたりについてわかりやすく少し御説明いただければというふうに思います。
参考人
(大澤眞理君)
 御質問ありがとうございます。

 おっしゃるように、今まで社会保険制度ですとかそれからその外側の社会保障制度にしましても、労働といえばペイドワーク、とりわけ賃金を払われるサラリーマンのといいますか、そういう労働をこれこそ労働だというふうにみなして設計されてきたというふうに思います。これに対して、アンペイドワークの重要性の指摘というのが世界女性会議なども画期にして高まってまいりまして、そのようなものを組み込んだサテライト勘定をつくるべきであるとか、それからもし仮に貨幣額に換算したならばGDP、国内総生産のどのくらいを占めるのかといったことに関心が向いてきたというのがここ二、三年の動きであろうかと思います。

 そういう中で、アンペイドワークの評価をどういうふうにしていくのかということには論争がございます、御承知のように。そして、ある説によれば、日本の第三号被保険者制度であるとか、それから所得税の配偶者控除などは、ある種のアンペイドワークに対する経済的評価なんだというような意見も聞くことがあるわけでございます。しかし、ちょっと翻って考えてみれば、家事労働や地域での仕事というのは、別に女性のあるいは配偶者の年収でもって分かれて、百三十万円未満の年収の人しか家事労働をしていないとか地域活動をしていないということは毛頭ございませんので、それをある年収のところで切る、あるいは夫の就業形態でもって切るということは、これはアンペイドワークの評価とは言えないだろうというふうに私は考えております。

 それでは、どのような仕方でアンペイドワークを評価していくべきかということなんですけれども、これも諸説ございまして、振り返りますと、七〇年代のころにはイタリアあたりの女性運動が家事労働に賃金を払えというスローガンを掲げて運動をしたというような経緯もございますけれども、私の考え方としては、アンペイドワークというものはなくすことができないし、またなくすべきでもない、つまりすべてを有償労働に変えていくことが望ましいのではないというふうに思っております。これは、有償労働の世界がこれだけマネーゲームにさらされる不安定な領域になってきますと、そういうものに左右されない無償労働の世界というのが人間の経済というものを安定化させている、そういう重要な役割を考えるべきだからであります。

 そこでどうするかというと、やはり老若男女が自分の自発的な意思に基づいてさまざまなアンペイドワークに喜びを持って携わることができるようなそういうあり方を考えるべきで、その第一番の条件というのが、私はペイドワークの時間というのが合理的な長さに限られていることだと思います。

 一日例えば六時間労働でもって十分生活していける収入が稼げるならば、あと残った時間というのを家事あるいは地域活動に充てるということが十分可能になって、これがもう年齢、性別を問わず可能になる、そのような標準労働時間とそれから賃金のあり方というのがもうそのまま私はアンペイドワークに対する評価になっているというふうに思います。

 さらに詳しく申し上げれば、就職をするとき、あるいは育児休業や介護休業をとって復帰をするときに、その休んでいた期間のアンペイドワークがどういうふうに評価されるかというと、通常は育児休業などとりますと昇給の対象にならない、それからボーナスも翌年減らされるとか、不利益をこうむるわけでございます。しかし、社会的に重要な役割を果たし、また子供の面倒を見て育てる、人をはぐくむということはペイドワークの職場においてもその人に重要な能力、経験というのを授けるわけでございますから、復帰のときに昇給をさせないとかボーナスを削るというのはもうこれは正反対のあり方なんではなかろうか。

 あるいは、新規の就職でございましても、例えばこれはドイツですとかそういった国では、自分はベビーシッターの経験があるとか、それからボランティアで地域の子供たちのクラブ活動、スポーツ活動のリーダーというんでしょうか、そういうことをしていたというようなことを履歴書に書きまして、これが就職に際して評価をされるというようなことになっているわけで、このように具体的にやはりペイドワークの世界に反映して評価されるということがなければ、幾ら頭からボランティアワークが大事だからといって高校生や中学生にボランティアをやりなさいやりなさいというふうに言ってもそれはなかなか難しいんじゃないかなというふうに思います。

 以上です。

千葉景子君  ありがとうございました。

 今大変わかりやすいお話をいただいて、そのとおりだというふうに思うんです。

 性に中立的な社会の仕組みをつくるということの目標に向かって、私なども考えるのは、例えば社会保障、年金とかあるいは税制、そういうものもでき得る限り個人を基本にし、そして世帯単位から転換をさせていくということを望むわけですけれども、そうはいっても、では一気にきょうからあしたへとすぐに転換をするというのもなかなかこれは難しい問題があろうかというふうに思うんです。

 そういう意味で、これから新しい社会、先ほどお話があったように、古い既製服に身を入れて、逆に言えばきつくなったところを足を切ってしまうとかそういうことではなくて、それに見合った既製服をつくる、あるいは男性にとっても少しずつみずからの脱皮も図っていくというようなことを考えたときに、そのプロセスといいますか至る道筋みたいなものがやっぱり必要なんだろうというふうに思うんですけれども、それぞれ御両名から新しいシステムの転換を図るに当たっての筋道といいましょうかあるいはそのプロセス、これについてどんな取り組み方が望ましいあるいはあり得るのか、こういう点で御示唆をいただければありがたいというふうに思いますので、それぞれお願いをいたしたいと思います。

 では、今度は鹿嶋参考人の方からお願いいたします。

参考人
(鹿嶋敬君)
 大変難しい質問なんで逃げようかと思っていましたが。

 確かに、これからのライフスタイルの課題、我々がキーワードとして新聞に書く場合は、多様化と個人化です。

 いわゆる生活の多様化、価値観の多様化が非常に進んでおります。それに見合ういわゆる社会システムの構築というのが非常に大事だと思います。同時に、個人化ですね。個人化の提言の一つは、やはり女性運動がたどり着いてきた一つの帰結だというふうに思っております。

 女性が社会に進出する中で、世帯の壁あるいは家族の壁というのがあった中で、じゃどうすればいいのか。やはり自分の意見が、個人としての意見が尊重されるというのが当然のことながら出てきますし、そういう意味では基本法は、第二条などを見ますとやはり個人というのが前面に打ち出される。となってきますと、多様化と個人化が多分今後の私はキーワードだというふうに考えておりますが、これまた大変難しいことも確かであります。

 特に、その世帯単位などにしても、なぜ打ち砕いていくのが難しいか。それはやっぱり一つは企業社会の問題と密接に結びつくんだというふうに思っております。なぜ女性が個人として自立できる生活ができないのか、意識の形成ができないのか。やはり今の働き方自体が、夫が働いて妻が家を守っていないと、はっきり言いますとなかなか生活できないんですね。家庭破綻、生活破綻になるような実態の中では、そういう分業システムは、言ってみれば必要悪という言葉は非常にまずいのかもしれませんけれども、やはりそういうシステムがない限りできない、あるいはお手伝いさんを雇うとかといったようなことなんです。

 実は私も共働きでございまして、大変苦労しながらずっと働いてきたわけですけれども、やはりいろんな意味で犠牲を払ってまいります。当然のことながら、家庭内での家事分担から育児分担、ずっとやらされて、やらされてというのはまずいですね、やってまいりましたので、そういうようなお互いの分担がない限りできない。となってきますと、企業のシステム自体以外に今度は男性の価値観の転換も必要になってくる。

 ですから、非常に総合的な中から進めないと、さっき申し上げました多様化とか個人化といったような大きなこれからの課題にはなかなか取り組めない。

 ただ、男女共同参画社会基本法は、私の個人的な感想ではまだまだ理念が先行しているようなところがありまして、まだ実態が合っていない。参画までも行っていない。参加ですらおぼつかないといったような状況の中では、なかなかそのギャップ、現実と理念のギャップを埋めるのが難しいんだろうというふうに思うんです。

 では、どこから手をつけていいのかとなるとなかなか難しい問題ですが、やはり働き方の再吟味ということがまず必要だろうというふうに思います。同時に、男性の家事育児参加をどういうふうに促していくのかという問題、これもやはり大事だろうと思うんですね。何十年たってもひょっとしたら変わらないかもしれませんが、そのあたりは性善説を信じまして、繰り返し飽きるほど言っていく必要があるのかなという感じがいたします。

参考人
(大澤眞理君)
  昨年の暮れに、お二人とも財政学者でございますけれども、神野直彦さんと金子勝さんの編集になる「「福祉政府」への提言」という本を出させていただきまして、私、その中で公的扶助の章を担当、執筆いたしましたけれども、この書物などは、今、議員がお尋ねの包括的な社会政策システムのあり方というのを提言した本でございます。

 また、年金制度などに特に言えることですけれども、あしたからはいと言って変えるわけにはいかないんですね。長年保険料を払ってきた、それによって期待権をつくってきた人々というのがいらっしゃいますから、年金制度の改革においてはどのような改革でも二十年程度の経過期間は必要だというのが常識でございます。この書物の中でも、二十年から四十年にわたる経過期間を見越した上でどういう制度にしていくかということを提言したわけでございます。

 それで、顧みますに、この間、特に九〇年代に政府の側で行ってきた制度改革やその案というのはいずれにしても断片的でございまして、どこかの一部を改革しなければならない順番が来たからいじる。例えば、年金だったら五年ごとに改革しなければならないから計算をしていじるというようなことをしておりまして、全体を見ていない。

 それから、そのような改革をすることによって国民がどのようなメッセージを受け取るかということを必ずしも考慮していない。その結果として、デフレスパイラルという言葉がありましたけれども、年金制度は将来もうもたないんだよというメッセージが陰に陽に送られてきた結果、保険料を払わない、加入をしないという人がふえているわけです。それから、将来の不安ということのために、今は消費不況ですから消費をしてもらわなければならないのに逆に貯蓄に励んでしまう。これがよく言われるデフレスパイラルということでございますけれども、同じようなことが少子化問題についても言えるというふうに私考えております。

 とてもじゃないけどというふうに守りの姿勢に国民がなっているときに、子供を産みなさいと言ってもとても産まないわけですね。そして、将来の年金も危ないし雇用も不安だとなると結婚すらおぼつかないというふうになって、ますます政府が行う改革が将来像をきちんと示さずパッチワーク的に行っているために少子化問題を悪化させるという、少子化スパイラルというのもあるんではないかというふうに思っております。

 ですから、例えば二〇二五年なら二〇二五年にこういうシステムにするんだという将来像をはっきり掲げて、そこに至る経過措置というのはこうなるということもまた明確に掲げた上で、したがって国民に負担すべきものは負担をしていただく、それに見合って政府もさまざまな改革や節約の努力をする、こういうようなことがない限り私は今のようなスパイラルはなかなか逆転できないというふうに思っております。

 しかし、残された時間はそんなにはございませんので今すぐそういうことには着手しなければいけない、その上で二十五年後の像というのをきちんとさせる、こういうことかなというふうに思っております。

千葉景子君  時間ですので、まだまだあれですけれども、ありがとうございました。


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